温個知心の会


<世代を超えた交流会>

 現在『NPO法人温個知心の会』の代表を務める私は、終戦前年の東京大空襲で大きな被害を受けた墨田区の出身です。

 

【1】サークルを始めたきっかけ

 2011年10月、戦没学生の資料を展示している「わだつみのこえ記念館」(文京区)で当時某大学の学生と偶然出会い、いまの若者に戦争を伝える活動を一緒にやらないかと誘いました。そして出来上がったのが『温個知新』というサークルです。会名の由来は、「個人の体験を聞かせてもらう、同時に個人(自分)を磨く」と言うことから『温故知新』を一字変えて『温個知新』としました。

 

【2】学徒出陣70周年

 2013年は、学徒出陣70周年を迎える年にあたります。そこで、会の名称を『温個知新の会』に変え、演劇を通して学徒出陣について皆で考えてみることにしました。

 会としては、学徒出陣があったことをいつまでも心に留めておくように、現役の大学生から特攻隊員となった上原良司と林市造の手記を基に企画し、以前からの知り合いである演出家の鄭光誠氏に依頼して、江戸東京博物館と武蔵野公会堂で計3回公演を行いました。

 そこでは、戦争に駆り出された人たちが人間としての人格や名誉など微塵もなく、単なる戦争に使われた道具に過ぎない扱いをされたことを伝えるとともに、人命の尊さを訴えました。

 

【3】学童疎開70周年

 2014年は、学童疎開70周年にあたり、テーマを『疎開』として活動しました。1945年3月10日の東京大空襲には遭遇しなかったものの、疎開先の蕨市での空襲、更に再疎開先の茂原飛行場拡張工事中でのグラマンによる機銃掃射を受け、その時は無我夢中で地面に伏せましたが、あと数センチ横にずれていたら、私の命はありませんでした。

 疎開は学童だけではありません。日比谷図書館の貴重な古書や書籍も疎開しました。その事実を証言した記録映画『疎開した40万冊の図書』の上映と、学童疎開を経験された方のお話を聞かせて頂きました。

 

【4】NPO法人として新たな活動へ

 2015年の今年は、戦後70年の年にあたります。会の活動をもっと知って戴き活動範囲を広げていこうと、NPO法人の認証を取得するとともに会の名称を『温個知心の会』に改めました。これは、従来の趣旨に加え、個人のこころ・物事の本質(こころ)も見極めていこうという趣旨も含めています。

 

 戦争の恐ろしさ、全てを破壊してしまう怖さを次世代に語り継ぐ組織を立ち上げ活動しています。
 この会の主旨に賛同された方、一緒に活動していきませんか。

 

<上蕨2015>